シリーズ「52年間ありがとう 交通科学博物館」(6)
大阪市港区にあった鉄道博物館「交通科学博物館」(愛称:こうはく。以下、同館)は、2014年4月6日に、閉館しました。
最後に書いた記事から、かなり間があいてしまいました。
あらためて、続きを書かせていただきます。
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こちらの記事の続きになります。
この日は、2013年の1月5日。
きっかけは前夜にわたしの弟からかかってきた1本の電話。
弟いわく「甥っ子を連れて、電車を使ってどこかへ出かけてみたい」とのことで、「こうはくならどうか?」と返事したところ、とのことだったので、弟ファミリーと来館する運びとなりました。
この時はまだ、甥っ子も小さかったのと、普段は車を運転する弟夫婦が久々の電車やバス
を利用したので、移動に少し時間がかかり、到着したのが11時半ごろでした。
ちなみに、この日は「特急百年~時代とともに駆ける~」という企画展があったので、自分にとってもグッドタイミングでした。
到着がお昼前だったので、来館手続きを済ませたあと、昼食をとることにしました。
それが、こちら。
かつて「走るホテル」と呼ばれていた、20系客車の食堂車「ナシ20形」でした。
同館が開館していた頃は、この車両を使って、食事ができたのです。
あまり、記憶にないのですが、HDDに保存している画像から、ここで食事をしたようです。
このあと、わたしと弟ファミリーは別行動に。
わたしは、購入して間もないデジイチを持参して、同車の外観の写真も何枚か撮影しました。
外観もやや痛みがちですが、適度に補修がされているようです。
「南シナ」という文字が見えますが、調べたところ、最終配置の車両基地(品川客車区)だということが分かりました。
反対側の表記です。
「7-11 鷹取工」という表記が見えますが、調べたところ、「7月11日 鷹取工」という意味のようです・・・。
自分では、そこまでしか分かりませんでした・・・。(つづく)
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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