シリーズ「52年間ありがとう 交通科学博物館」(4)
こちらの記事 の続きになります。
今回は後編をお送りします。
このあと、私が見たのがこちらでした。
昭和30~40年代頃の鉄道のある街並みと題したジオラマです。
駅を出発したのは、キハ58系の列車でしょうか・・・。
のどかな雰囲気ですねぇ・・・。
次に見にいったのが、こちら。
当時の国鉄が、国内初の寝台特急電車として世に送り出した、581系電車の模型と、それにまつわる資料の展示です。
こちらは、国鉄初のコンテナ特急列車「たから」号です。
緩急車(上の画像の手前の車両でHMが掲出されている)と、コンテナがいかにも当時の国鉄らしい発想だと思いました。
続いて見に行ったのが、コウハク商店と名乗る、いわゆる「駄菓子屋さん」です。
少し、立ち寄って(笑)みましょう。
たばこを販売しているカウンターやピンクの電話機、お店の中の雰囲気を再現していまいた。
私が子供の頃にも駄菓子屋さんはありましたが、こんなにレトロではなかったです・・・。
続いてこの夕焼け通りという、アーケードが目に入りました。
オリエンタル座という看板が目立つ、当時の文化についての展示がされていました。
これで、特別展「コウハク家の歴史」はお終いです。(つづく)
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コメント
こんにちは。モモパパです。
国鉄コンテナ特急「たから」。
聞いたことはありますが写真などは一度もみたことがないです。
国鉄コンテナといえば僕の実家の前の空き地にJNRマークの入ったコンテナが倉庫として使われてますが。
駄菓子屋さん。
僕が子供の頃もありましたがここまでレトロ感あふれてなかったな~。
その駄菓子屋さん。
つい最近まで営業してましたが3月に閉店してしまいました。
オリエンタルと聞いて「オリエンタルカレー」を思い出すのは僕だけかな。
( ´艸`)プププ
投稿: モモのパパ | 2014年5月27日 (火) 09:11
モモのパパさんへ
こんにちは。
いつも、コメントありがとうございます。
実家に前の空き地にJNRマークの入ったコンテナが倉庫として使われているとのことで・・・。
「お役御免のコンテナの有効活用」は、思わぬ場所にあったりします。
最近では、JR貨物の初期のコンテナ(ブルー基調のもの)も姿を見なくなりました。
駄菓子屋さんですが、こういったスタイルのものは、もうほとんど残っていないのではないでしょうか・・・。
「オリエンタルと聞いて、オリエンタルカレー」を連想されるとは・・・。
正直、驚きました・・・。
投稿: 京阪快急3000 | 2014年5月27日 (火) 11:29
こんにちは、京阪快急3000さん
今更ですが、閉館してしまってるのですね。
今尚、続いているような感覚が残ってしまっています。
子供の時の思い出が詰まっている交通科学博物館
こうして、京阪快急3000さんが記録をしてくださっているので
きっと懐かしくなって、何度も交通博物館の写真を見にきますよ。
投稿: みっかん | 2014年5月27日 (火) 11:42
みっかんさんへ
こんにちは。
いつも、コメントありがとうございます。
そうなんです。
交通科学博物館は、今年の4月6日をもって、52年間の歴史に幕を閉じました。
自分でも、まだ続いているような感覚がしますね。
個人的に最近こう思うようになりました。
「これから続くものより、なくなってしまうものを優先する」
・・・といった発想で、このシリーズを始めたのです。
この博物館は、本当に何度も行きました。
懐かしさでいっぱいです・・・。
今後も引き続きお楽しみいただければ、幸いでございます。
投稿: 京阪快急3000 | 2014年5月27日 (火) 12:04
キハ58or28に、ブログ名の583の第一号・581まで、ありがとうございます!いやー、いいです!!
投稿: キハ58 | 2014年5月30日 (金) 00:55