京阪「3000系特急車 最後の夏 ~京阪線1日乗車券~」を使って・・・(その1)
22日(日)の事です。私は前日(21日・土)に購入した京阪の「3000系特急車 最後の夏 ~京阪線1日乗車券~」と同時に配布された「シールラリー」の台紙を持参して、京阪線・鴨東線(淀屋橋-出町柳間)、そしてこちらは、約20年ぶりとなる男山ケーブル(八幡市-男山山上間)に「乗り鉄」および「撮り鉄」を楽しみました。
今回は、その模様をお伝えします。
まず、最寄り駅7時22分発の快速急行中之島行きに乗車して、「シールラリー」のポイントのひとつ、京橋駅へ向かいました。
例によって(?)、前述の列車が到着するまで、撮影をしました。
7時20分発の急行出町柳行き(6000系6014F)です。
この後、乗車する列車が到着しました。
6000系6007Fでした。
京橋駅で最初のスタンプ押印とシートの貼る「シール」を受け取った後、再びホームへ向かい、次は天満橋駅へ向かいました。
8000系8009Fの特急に乗車しました(京橋駅では撮影が難しかったので、天満橋駅での撮影です)。
この駅でも京橋駅と同様にスタンプの押印と、シールを受取りました。
さて、次は大阪方面では「最後のポイント」となる淀屋橋駅に向かうのですが、「淀屋橋寄りの車両に乗った方がいいだろう」と考えて、4番線ホームの淀屋橋寄りまで歩きました。
ここで以前から気になっていたものをご覧いただきます。
『先覚志茲成(せんかくのこころざしここになる)』の石碑です。
ウイキペディアで調べてみると、この石碑は「元々地下トンネルのポータル上に飾られていたが、OMMビル竣工に伴いここに移設したものである。」との事でした。
画像の通り、1969(昭和44)年8月にこの場所に移設されたようです。
ちなみにこの天満橋駅ですが、2008年の中之島線開業前までは同駅発着の列車も存在していましたが、現在は完全な中間駅となっています。
しばらくすると、列車が到着しました。
新旧混色編成の2600系2601Fによる準急が到着しました。
淀屋橋駅に到着する直前、私は「おそらく2番線に停まるだろう」と憶測していましたが、実際は3番線に到着したのでした。
同列車は8時6分に淀屋橋駅に到着しました。
降車する利用者の方々を見送った後、この列車は「急行樟葉行き」になっていました。
実は「2600系0番台の「急行樟葉行き」」を以前から「見たい!!」と思っていた「ひそかな願い」が実現したのでした。
1990年代、通勤や通学で利用していた頃、当時の8連の列車「淀屋橋-出町柳間の急行」および「淀屋橋-樟葉間の準急」に6000系や2200系が検査などで、運用に入れなかった時に、同じ2600系(30番台)と「混結」で8連を組んで前述の運用に「代走」していたのを思い出しました。
それから「本線の(2600系)0番台は、いつまで走るのだろう・・・」とも思いました。
そういった意味では、京阪を含め「関西の鉄道各社は、古い車両も大切に使っている」と思います。
話を戻します。
淀屋橋駅でスタンプの押印とシールを受取り、これで「大阪方のもの」はすべて揃いました。
同駅のコンコースでこんなポスターを見つけました。
まさに「『3000』という形式のバトンタッチ」とでも言えるものだと思いました。
後は、淀屋橋8時30分発の「特急出町柳行き」(列車番号:B0806Z)が到着するのを待つだけです。
意外な事(?)にこの時間帯は、「撮り鉄さん」らしき人は見かけませんでした。
というわけで、先発の特急や急行を撮影し、時間をつぶしていました。
このような物も撮影しました。
同駅の「竣工記念碑」です。
そして、まもなく「旧3000系の特急」が到着する時刻が迫ってきたのでした。(つづく)
※おまけ画像
最寄り駅のコンコースに掲出されていた「60形びわこ号復活プロジェクト」のPR広告です。
「地元も(良い意味で)有名になってほしい・・・」そう思いました。
京阪オリジナルの「メッセージボード」です。
これは、天満橋駅のものです。
そういえば、今頃「クライマックス」を迎えている頃でしょう。
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