京阪撮影日記(2012.6.3)(その1)
もうすぐ6月も終わり、7月に入り梅雨が明けると「夏本番」ですね。
しかし、私の住んでいる関西電力のエリアでは「そんなのんきな事を言っている場合じゃない!!」というのが、「本音」なのはすでに皆様ご承知の通りだと思われます。
前置きはこのくらいに致しまして、今回は3日(日)の「あまりお天気の良くなかった日」の出来事を書かせていただきます。
この日(3日)は、京阪が土休日に1日あたり2本(京都方面。上り・出町柳方面)運転されていた、京橋-七条間のノンストップ特急「洛楽」の運転が「最終日」だったので、撮影に出向く事にしたのでした。
実を言いますと、この日は西三荘駅か関目駅辺りで撮影する予定でした。
考えた結果「まだ撮影に行った事のない西三荘駅で撮影しよう」と決め、大阪方面(下り・淀屋橋、中之島方面)の京都寄りのホームで列車を待っていました。
時間がまだあったので、京都方面の列車を1枚撮影しました。
2600系(2605F)の普通です。
この列車の発車後、私はある事に気が付きました。
京都方面ホームの大阪寄りをよく見てみると、「撮り鉄さん」らしき人物が誰もいなかったのです。
普段でしたら、1人か2人、多い時は4人ぐらい「集結」している事が多いので「こんなチャンスはめったに無い!!」と思った私は、急いでその場所へ移動したのでした。
天候があまり良くなかったのも関係あるのかも知れませんが、結局最寄り駅の「この場所」で「洛楽」が通過するのを待つこととなったのです。
以下の写真は、その場所から撮影したものです。
1000系では、おそらく唯一となった旧一般色(以下、旧塗装)の1506Fが到着しました。
1501Fがここ最近運用に就いていないと思っていて、以前車窓より寝屋川車庫を眺めていたら、1501Fらしき編成の一部の車両が留置されているのを見つけ「これは、(工場入りして)塗色変更するんだな」と思いました。
最近天候の関係もあり、体調が少し悪くなってしまい、撮影に出向いていませんが、この1501Fも現在は塗色変更されて復帰しているものと思われます。
この編成(2605F)は、先日の編成組換えにより、大阪寄り2両のみ塗色変更されている「新旧混結編成」(以下、混結編成)なのです。
「7連の6000系」は現在、6001Fおよび6002Fの2編成が存在しますが、朝方や夜間を除く土休日ダイヤでは主に中之島線系統の列車に充当される事が多いようです。
そんな6000系も来年の12月で「デビュー30周年」を迎えます。
京阪では初めて「鉄道友の会」の「ローレル賞」を受賞した車両でもあり、来年は「記念HM掲出」など、何らかの「記念企画」があるものと期待している次第です。
現在のダイヤでは、土休日ダイヤにのみ設定されている、急行淀行きです。
淀駅はご存じの方も多いと思いますが、「京都競馬場」の最寄り駅であり、昨年念願の駅の高架工事が完了し、地上駅時代に存在した踏切による渋滞も大幅に緩和されました。
6000系の写真が続きますが・・・。
車両不足による「代走」でしょうか・・・?一部の特急運用に3000系以外の3扉車(6000系、7200系、9000系)が運用に充当されるのを、たまに見かけます。
余談ですが、3000系が日中に快速急行の運用に充当されていた、昨年のダイヤ改正以前のダイヤでも、3000系以外の3扉車が「代走」するケースを何度か見た事があります。
そして・・・。
お待ちかねの「洛楽」の1本目がやって来ました。
この後、私は少し考えました。
「以前見た、あのような「写真」のような構図ができないものか・・・?」
それで、カメラの望遠機能で思いっきり引き付けると・・・。
ご覧のように、自分がイメージしていた構図になりました。
その成果は・・・。(その2)でご紹介します。
さて、この後こんな写真も撮れました。
7000系同士が離合しました。
この「7000系」にも、自分が高校時代に通学で利用していた頃に、こんな拙い思い出話があります。
私が高校生に上がったばかりの頃(今から20数年前)は、7000系はまだ「6連が2編成」(7001F、7002F)という状況で、他に6連と言えば、2600系がまだ幅を利かせていました。
注:あいにく、当時の写真は持ち合わせていなかったので、2007年頃に滝井駅にて撮影した、7002Fの写真をここでは参考として、紹介させていただきます。
つまり、下校の時間帯(15時台)の列車(出町柳行きの普通)は、当時のダイヤ(15分ヘッド)で「早く帰宅したい」という子供心があり、6連の列車が7000系だったら「VVVFでしかも(当時は)新車でラッキー!!」という、「自分って、つまらない事考えてたんだなー」・・・今は、そう思っています。
そういえば、当時の日中運行されていた急行は「出町柳行き」で、準急は「樟葉行き」でした。
現在とはちょうど逆になっている事に気が付きました。(つづく)