阪堺沿線へお出かけ(2012.4.28)(その4)
(その3)の続きになります。
住吉付近でひと通り撮影を終えた後、私達はご覧の画像の1963(昭和38)年製の吊り掛け車両、モ351形モ355号(車両の外観は、後ほど出てきます)に乗車し、次なる「目的地」へ向かいました。
それは、前回の訪問で見過ごしてしまった「旧宮ノ下電停」の跡が残されている場所です。
その場所へ、のりさんがご案内して下さいました。
東玉出の電停で下車し、恵美須町の方向へ歩きます。
途中、南海高野線の高架を抜け、「その場所」へたどり着きました。
画像はこの日撮影したものの一部ですが、これが「旧宮ノ下電停跡」です。
のりさんのお話によりますと、最初この電停は「阿倍野神社」と呼ばれ、のちに「宮ノ下」と改称され、その後廃止となりました。
電停のホーム跡です。
煉瓦が積まれていたのがお分かりだと思います。
南海高野線のガード下も、煉瓦造りでした。
ちょうど電車が通過したので、撮影しました。
「南海の電車も一緒に・・・」というのは、ちょっと欲張りですね。(^^ゞ
この後、天神ノ森の電停まで歩く事になりましたが、この途中、のり様は自分が知らなかった場所へ案内して下さいました。
こちらが「阿倍野神社」です。
この路地で、たまたま電車が見えたので、撮影しました。
こちらは「天下茶屋跡碑」です。
「天下茶屋の由来」の題してこの場所について解説したものがありました。
続いて「天神森天満宮」にもご案内して下さいました。
この後、私達は天神ノ森へ向かいました。
この駅名標は、恵美須町方面のものです。
目新しく見える「ナンバリング標記」は、今年の3月下旬より導入されたものです。
先程乗車したモ355号が、我孫子道行きの列車として到着しました。
「岡崎屋質店」の広告車でもある同車が、私達の前を通過して行きました。
のりさんが「この電停周辺は、まるで山の中のように静かな場所ですよ」とおっしゃっていました。
時刻は16時を回っていました。
私達はこれから、この後到着する電車に乗って、恵美須町へ向かいました。(つづく)
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