京阪撮影日記(2012.4.14)(その2)
(その1)の続きになります。
六地蔵駅に到着したのは、同列車が到着する約1時間前の、11時1分でした(時刻表上では、同駅の発車時刻は、中書島(上り)、宇治(下り)両方面とも、この時間帯は下1桁が0分)。この写真は、2621F発車した後に撮影したものです。
中書島方面のホームへ移動した頃には、まだ撮り鉄さんは少なく、どうにか場所を確保できました。
これから名付けて「宇治線2600系の撮影会」が始まりました。(笑)
早速、11時10分発(カメラの時計が進んでいるのでしょうか?以下の時刻はすべて1分進んでいます)の宇治行き(塗色変更された2623F)で練習です。
結果はご覧の通り。やや周囲のものが写ってしまっています。
程なくして、中書島行きの2617Fの姿が見えました。
新旧の「並び」を撮影できました。
中書島に向かって発車していきました。
続いて2620Fの宇治行きが到着しました。
先ほどより、少し望遠にしてみました。
私が先ほど乗車した2621Fの中書島行きとのツーショットです。
シャッターを切るタイミングなのでしょかねぇ・・・?奥に見える架線柱に少し被ってしまいました。
10分間隔なので、待ち時間は意外と短く忙しかったです。
しかし、こうして何度も撮影していくうちに、ご覧のような写真を撮れるようになりました。
この2621Fを撮影した時点で、(運用が)ワンサイクル回った事となります。
この日、運用に就いていた2600系は2617F、2620F、2621F、2623Fの4編成でした。
もう1編成の2615Fは「お休み」のようですね。
さて、ここでこの日運用に就いていた2600系について、簡単な解説をしたいと思います。
この2623Fは、宇治線の2600系では唯一の塗色変更編成です。
2623の前面にご注目下さい。
「外幌」の跡が残っているのが、お分かりでしょうか?
中書島寄りの2823には、ご覧の通り何も取り付けられていませんね。
ご覧の2617Fは、2000系「スーパーカー」の後期製造車の車体を流用した編成です。
2000系の初期製造車の側窓が低い窓なのに対し、やや大きめの側窓で、このスタイルは、のちの2200系や2400系、そして2600系30番台に引き継がれました。
余談になりますが、バンダイのBトレの2600系のキットを2セットそのまま組み立てると、ご覧の編成が出来上がります。
ご覧の2620Fは、2連+2連で組成されています。
両側の先頭車(2620および2820)は、車体は前述した初期製造車からのものです。
ご覧の2621Fは、現在唯一残っている6000系の新造時のクーラーを製作するにあたり、ご覧のような形となった「試作冷房編成」です。
また宇治線の4連の2600系はM車、T車問わず、すべての車両にパンタが装備されているのも特徴のひとつでしょう。
また、前面の車掌側の窓が原型の「2段窓」か「Hゴム」かの違いで、車体がバラエティに富んでいるのが、2600系0番台が「通好みの車両」と言われる所以(ゆえん)でしょう。
さて、HP上では13000系の臨時列車の同駅発車は12時6分となっていました。
いよいよその、臨時列車が到着します。
この時間になると、撮り鉄さんもかなり集まってきました。
こちらがその臨時列車です。
先ほどの2600系で「練習」した成果が無事実り、満足のいく写真が撮れました。
ちなみに同駅を発車したのは、定時より3分遅れの12時9分でした。
この後、私を含む「撮り鉄さん」達は、後続の宇治行き列車に乗車するため、宇治方面のホームへ移動するのでした。(つづく)
| 固定リンク
「京阪電気鉄道」カテゴリの記事
- 補足:引退迫る京阪5000系(2021.04.21)
- 久々の撮影は・・・+@(2021.04.01)
- 久々のお出かけは近場の模型店へ(2021.03.12)
- 引退迫る京阪5000系(後編)(2021.02.26)
- 引退迫る京阪5000系(前編)(2021.02.13)
コメント