2012年2月
2012年2月29日 (水)
京阪電車撮影日記(2012.2.27)
27日(月)、私は所用で先週行った茨木市に出向きました。
結論から言いましょう。
実は先週、自宅で使用している掃除機の部品がダメになって、茨木市にあるサービスステーションにその部品を持ち込んだ際(今月22日)、京阪電車と京阪バスを利用したのです。
そして、2日後の24日、「修理が完了しました」との連絡が入り、前述の日(27日)にもう一度出向くこととなったのです。
今回は、バスの発車時刻に合わせるように、京阪電車に乗る列車を同社のHPで検索した結果、最寄り駅8時50分発の快速急行樟葉行きで、枚方市着が8時58分という結果を見て「これは、またとないチャンスだ!!」と思い、寒い中、出向くことにしました。
最寄り駅に到着し、(これは、通学で京阪を利用した頃から変わっていませんが)大阪方面のホームは結構混雑していましたが、私が乗車する京都方面のホームの人気(ひとけ)はまばらでした。
性懲りも無く(笑)、私はカメラを持参してきました。これが「鉄ちゃんの性(さが)」なのかもしれませんね(笑)。
まず撮影できたのは、9000系(9005F)の特急出町柳行きでした。
3扉一般車の特急は、「この時間帯ならでは」ですね。
こちらも昼間時は見ることのできない6000系(6005F)の準急淀屋橋行きです。
この「6000系顔」の7000系7004F(この編成も最近、塗色変更された)の普通出町柳行き。この列車で、次の香里園駅まで向かいました。
香里園で下車し、ふと大阪方面のホームを見ると、なんと「3000系の快速急行」(しかも、中之島行き!!)が発車待ちをしていたので、あわててカメラを取り出し、発車シーンを収めることができました。
「自分のブログのニックネーム(ハンドルネームともいう)が、まだ残っていたんだ」、と叫びたくなるような、そんな気持ちでした(^O^)/!!
ちなみにこの3000系による「快速急行中之島行き」は、出町柳8時11分発の列車であることが、あとで分かりました。
このあと、ちょうど前述の列車とすれ違うようなかたちで、自分にとっては「初耳」だった「快速急行樟葉行き」が到着しました。
9000系9001Fでした。
少し分かりにくいかもしれませんが、車内のLED式案内表示器を撮影しました。
枚方市駅に到着しました。
周りの乗客にも気を取られることなく、「撮り鉄する私」でした(笑)。
側面の表示器です。これにこだわるファンも中にはいらっしゃるようで・・・(自分もそのひとりです)。
扉が閉まり、9000系の「快速急行樟葉行き」は、樟葉へ向けて静かに発車していきました。
6000系6004Fによる、普通中之島行きです。こちらも、昼間時は見ることができないので、撮影しておきました。
このあと、下車して京阪バスに乗って前述の所用を済ませ、再び京阪枚方市駅へ戻ってきました。
残り2編成となった、旧塗装の2400系(2456F)の普通出町柳行きを撮影しました。
帰路へは以下の画像の編成の急行に乗車しました。
この画像だけをみて「分かった!」と思ったあなたは、かなりの「京阪通」です(^^ゞ!!
正解はこちらです!!
現在の京阪では、古豪の部類に入る、2200系です。
画像の2216Fは、制御装置を界磁添加励磁制御に変更した、2200系の後期の改修車です。
一時期は8連化され、急行や準急(当時)で活躍していましたが、現存車はすべて7連となり、廃車も発生しています。
この車両も2200系(2226F)で、こちらも2216と同仕様ですが、塗色変更がなされています。
この日は、バラエティに富んだ「京阪電車」が撮影できた1日でした。
2012年2月27日 (月)
阪堺電車訪問記(2012.2.12.)(その7)
(その6)の続きになります。
長かったようで、短かったような今回の阪堺電車訪問も、いよいよ終盤です。
グッズを購入後、大和川橋梁で考えていた帰路についてですが、結局恵美須町まで乗ることに決めました。
さて、電停で恵美須町行き列車を待っていると・・・なんと、モ505号の「福助電車」では、ありませんか!!
「「福助電車」に乗ると縁起が良い」という噂を聞いていましたが、私は心の中で大喜びしたのでした。
運転席前部の座席が空いていたので、そこの座りました。
さっそく「撮り鉄」開始です。(笑)
天井部に「福助」のステッカーがたくさん貼ってありました。
このモ505号は、帝国車輌で1957(昭和32)年に製造されたようです。
もう製造から50年以上経っているのですね。
モ161形もそうですが、「阪堺は古い車両を大切に使う素晴らしい鉄道会社」だと、改めて感心しました。
「レトロ調の車両」も良いのですが、やはりこうした「年季が入った車両」の方が私は好きです。
東玉出の電停で、たまたま少しレトロな駅名標が目に留まったので撮影しました。
このあと、「?」と思った事に気づいたのでした。
運賃箱の下側のある「レバー」が「動く」のです。
これについて、ご存じの方はご教示願えないでしょうか?
このあと、前方右側の座席が空いたので、そちらへ移動しました。
モ504号とすれ違うところです。
恵美須町駅が見えてきました。
恵美須町駅に到着です。ここで記念撮影です。
南海大阪軌道線時代は、この部分は大型の「系統付きの行先方向幕」でした。
画像右下にご注目下さい。
なんと、兎の上に福助さんが乗っているではありませんか。
これには、私も驚きました。
ちなみに到着時刻は午後2時を回っていました。
こちらが、今回の訪問で購入した一日乗車券「てくてくきっぷ」です。
ご覧の通り、乗車した年月日をスクラッチする仕様となっています。
今回の訪問で、阪堺のすべての現役車両に乗車できました。
そのほか、以前の訪問で気づかなかった「名所」が阪堺沿線には数多くあることを実感しました。
阪堺電車の今後のより一層の発展を願いつつ、時間ができたら、再訪したいと思っている次第です。(完)。
※おまけ画像
これらの画像は、帰路における大阪市交堺筋線に乗車した時の様子です。
ローリーファン装備の阪急5300系に乗車できたのは、久しぶりでした。
また、奇遇にも昨年の阪急京都線のダイヤ改正で設定された、大阪市交堺筋線天下茶屋-阪急京都線河原町間の「堺筋準急」を見ることができました。
(完)
2012年2月26日 (日)
京阪電車撮影日記(2012.2.25)
皆様、こんばんは。
今日は予定では、JR新大阪駅で「スーパーくろしお」と「くろしお」を撮影後、JR大阪駅に移動し、4002レ「日本海」を撮影してから、京橋で京阪線京阪宇治線に乗り換えて、宇治まで行くことにしていたのですが・・・。
昨日の夜から以前から悩んでいたPCのトラブル解消のため、「OSの再インストール」をおこない、今日の夕方、前述のトラブルも解消して、少し休憩を取りそのあと夕食を食べ、ようやくブログが書けるようになりました。
「OSの再インストール」の作業は、過去に数回おこなったことがありますが、本当に疲れる作業でした。
というわけで、今回は昨日(25日)に、今年の3月で運行を終了する事が決まった10000系「きかんしゃトーマス号」(以下、「トーマス号」)の「宇治線出張運転」の模様などをお伝えします。
雨があがった昨日の午後、最寄り駅15時1分発の準急出町柳行きに乗車するため、最寄り駅の出町柳行き方面のホームへ上がりました。
例によって(?)早く到着したので、カメラを取り出して、撮影を開始するのでした(笑)。
まずは、8000系8001Fの特急を撮影。この8001Fは、どういうわけか、出会う機会が多いです(笑)。
続いて、3000系3004Fの特急を撮影しました。
そして、到着した2400系2451Fの準急。枚方市までこの車両に乗車しました。
枚方市で8000系の特急に乗車し、宇治線の乗り換え駅である中書島駅へ向かいました。
宇治線の乗車ホームがある、2・3番線ホームへ移動しました。
しばらくすると、2400系2452Fの普通中之島行きが到着したので、撮影しました。
そして、宇治線ホームには、塗色変更された2600系2623Fが発車する直前だったので、撮影しました。
隣の4番線ホームには、9000系9005Fが停車していました。
京阪のHPによると、15時44分発のこの列車が、「トーマス号」ということなので、あらかじめ時間を調整してきた次第です。
実を言いますと、4番線ホームから撮影したかったのですが、前述の9000系が停車していたので、残念ながら諦めました。
しばらくすると、10000系「トーマス号」の宇治行きが到着しました。
ここからが、拙ブログ恒例(笑)の「月替わりHMチェック」です。
今月は「ロージー」というキャラでした。
下のような画像からの撮影は、「少し(技術的な)変化を付ける」意味でチャレンジしてみました。
このあと、最近塗色変更された2400系2455Fの準急中之島行きが到着しました。「ピカピカの新車」のように見えたのは、私だけでしょうか・・・?
この準急とほぼ同時に、「トーマス号」は宇治へ向かって発車して行きました。
今度は2600系2620Fの宇治行きが到着しました。
今年の春には、宇治線に新型車両13000系を導入して、この2600系を一掃するようなので、来月のJRのダイヤ改正以降に宇治線の2600系(個人的には2621Fを希望)に乗車したいと思っている次第です。
このあと、2400系2454Fの普通出町柳行きが到着しました。
この写真も駅のホームのカーブを利用して、少し変化を付けてみました。
そして、このあと、到着した特急(8000系)に乗車して枚方市駅で下車しました。
このあと撮影できたのが、7200系の唯一の7連、7203Fでした。
この編成が、先日発表された「ひらかたパーク開園100周年」の装飾編成にノミネートされているようです。
はたして、どんな装飾になるのでしょうか・・・?
このあと、到着した普通淀屋橋行きが旧塗装の2400系2456Fでした。
この写真は、香里園で急行を待避中に撮影したものです。
ちなみにこの日は、淀車庫で「旧塗装の2400系1編成」が休んでいた(この編成は2453Fらしい)のを確認できました。
勘のするどい方ならもうお分かりかと思いますが、私はこの日に稼働したすべての2400系を見ることができたのです。
偶然ながら、驚いている次第です。
2012年2月25日 (土)
阪堺電車訪問記(2012.2.12.)(その6)
(その5)の続きになります。
我孫子道へ到着しました。
ここは、今まで訪れた場所の中で、一番「撮り鉄さん」が多かった所です。
モ501形の「復刻塗装」同士のすれ違いが撮れました。
この「復刻塗装」を、ウィキペディアで調べたところ、阪堺電車が南海大阪軌道線と呼ばれていた頃にモ351形とこのモ501形に採用されていた塗装でした。また、モ121形などの旧型車にも採用されていました。
2009年12月29日より、最初の写真にように、モ501形モ504号およびモ505号にこの塗装を復元したのでした。
この後、緑の雲電車、モ161形モ166号が到着しました。
この頃が私を含む「撮り鉄さん」が集まったピークでした。
そして、この後が・・・。
私が撮影したかった青い雲電車モ161形モ168号が到着したのです!!
行先表示には、赤い文字で貸切と表示されていました。
何の貸切列車かは、分かりませんでしたが、とにかく撮れて良かったと思った次第です。
このあと、あびこ道商店街を撮影しました。
そして、我孫子道車庫の車両も撮影しました。
結局、この日のモ161形の稼働車両は、モ162号、モ166号、そしてモ168号の3両でした。
あと残念ながら今回は、黄色の雲電車にお目にかけることはできませんでした。
この日は、車庫内を見学しようと思いましたが、時間の関係などで、車庫の外からの撮影となりました。
「福助電車」のステッカーを貼った、モ505号も撮影できました。
このあと、乗車した列車内の宙吊り広告に載っていた阪堺電車のグッズを購入しました(以下の画像は、自宅で撮影したものです)。
阪堺電車の素敵な写真が印刷されている、ポストカードセットです。
モ161形とちん電くんのイラストが入った吊り革がセットになった、携帯ストラップです。
これは、何種類かありましたが、私は青い雲電車(モ168号)のものを選びました。
(画質は荒いですが)ご覧のように、モ168号が忠実に再現されているのが、お分かりかと思います。
これらのグッズを購入したあと、私は、我孫子道の電停に戻りました。(つづく)
2012年2月24日 (金)
阪堺電車訪問記(2012.2.12.)(その5)
(その4)の続きになります。
電車は綾ノ町電停に到着しました。
ここに来るまで、外を見ていたら、私が以前から見たかった「青い雲電車」のモ161形モ168号とすれ違いました。
行先表示には、赤い文字で試運転と表示されていて、恵美須町か、天王寺駅前方面へ向かうようでした。
「あとで、我孫子道に立ち寄るし、もう1回見ることができるかも・・・」とその時私は思いました。
我孫子道方面には、モ701形モ707号の天王寺駅前行きが発車待ちをしていました。
この綾ノ町電停で気が付いたことは、他の電停と異なり、クラシックな駅名票が現在も用いられていることです。
これは、浜寺公園方面のものです。
一方、こちらは我孫子道方面のものです。
駅名票を拡大してみましょう。
こんな感じです。
この路線図も、昔ながらのもののようです。
この後、いよいよ阪堺沿線でも名撮影スポットのひとつである、大和川橋梁を向かうため、モ701形モ710号の列車(行先は忘れました・・・)に乗車しました。
大和川電停から東へ歩くこと数分、「こんな良い撮影場所があるんだ!!」と、正直驚いたのが、この場所です。
人の通りは、犬の散歩やジョギングをする人程度で、列車が来るまで久しぶりに「まったり感」が味わえました。
この辺りは、12分間隔で列車が往来し、列車が来る前に踏切が鳴るので、それまでは付近をぼんやり眺めていたり、「都会から離れた解放感」とでも言いましょうか・・・。とにかく「夕方までずっとここにいたい」気分でした。
しかし、時刻はまだ1時過ぎ、お昼も食べていないので、そういうわけにはいきません(^^ゞ。
そんな事を言っている間に踏切の音が聞こえました。
京阪の最寄り駅も高架駅になって13年が経ち、踏切の音を聞くことも少なくなりました。
やっぱり、「「鉄道」といえば「踏切」は外せないもののひとつ」だと、私は思います。
さて、撮影モードに入った私でした(笑)。
最初に阪堺電車が入った写真はこれでした。
続いてモ161形が来たのですが・・・。位置が悪いものとなってしまいました(>_<)(連写モードで撮影しないので)。
今度は思い通りにいきました(ただし、かなり望遠機能を使っています。デジイチならこんな手間はいらないでしょうね・・・)。
この後、私は少し考えました。
「帰りは恵美須町まで乗るか、それとも天王寺駅前まで乗るか・・・」
思わぬ「二者択一」で、本当に悩みました。
結果は、のちほどの記事で、お分かりになるかと思います・・・。
そして私はこの場所を後にし、大和川電停に戻りました。
レールの枕木が良い感じを出していると思いました。
(ド派手な看板が写っちゃいましたが)この車両に乗車し、今度は車庫のある我孫子道へ向かいました。(つづく)
2012年2月22日 (水)
今日は「7連」の京阪電車を撮影(2012.2.22)
今日(22日)、私は所用で茨木市に出向くこととなり、京阪枚方市駅から京阪バスに乗り換えて、20数分乗車したところにある場所に行きました。
最初は自宅の近所にあるバス停から京阪バスを利用しようかと思っていましたが、ネットで調べたところ、前述のルートの方が運賃が安くなることが分かったので、9時15分に自宅を出発しました。
枚方市駅まで乗車する列車は、最寄り駅発の急行樟葉行きが、最短時間で行けることが、京阪のHPで分かりました。
ちなみにこの急行は7連という、普段は土休日しか利用しない私にとって「撮影する価値はあるかも・・・」と思い、愛用のコンデジも持参しました。
最寄り駅出町柳方面のホームへ上がってしばらくすると、特急淀屋橋行きが通過するアナウンスが聞こえたので、カメラを向けました。
3000系3006Fでした。
続いて特急出町柳行き(8000系8006F)が撮れました。
そのあと、7000系7003Fの普通出町柳行きが到着したので、とりあえず次の香里園まで、この列車に乗ることにしました。
香里園駅で接続する、急行樟葉行きに乗り換えました。
車両は、1000系1504Fでした。
車内はラッシュが終わった後なのか、乗客はまばらでした。
枚方市駅に到着する前にこのような物に目が留まりました。
室温計です。1000系では、アナログ式でした。
枚方市駅へ到着し、下車してからホームでしばらくすると、急行淀屋橋行きが4番線ホームに到着しました。
よく見ると、なんと旧塗装の2400系2453Fでした。
この列車を撮影してから、私は京阪枚方市駅をあとにしました。
乗車した京阪バスはJR茨木駅行きでした。
途中車窓から、東海道新幹線の高架が見え、700系やN700系が走行しているのが見えました。
「帰路で、撮影しよう」と決めたのは、この時でした。
所用を済ませ、帰路へ就きました。
京阪枚方市駅行きのバスへ乗車し、新幹線の高架が見えた場所でカメラを構えましたが、新幹線は姿を見せませんでした(涙)。
枚方市駅まで、戻ってきました。
私は再びカメラを取り出すのでした(笑)。
7000系7002Fの普通淀屋橋行きが発車待ちをしていました。
交野線ホーム(5番線)には、10000系10001F「きかんしゃトーマス号」が停車していました。
これから乗車する急行淀屋橋行きが到着する直前だったので、急いで撮影しました。
乗車した急行はなんと往路で見た、2400系2453Fでした。私って、運が良いのでしょうか?
程なく最寄り駅に到着です。11時30分に到着しました。
「鉄ちゃん」の私は、ここでも撮影するのでした(笑)。
出町柳方面は、2200系2209Fの準急出町柳行きが発車していきました。
後続の普通淀屋橋行きも、ついでに撮影しちゃいました(^^)。
ここで思い出話をひとつ。
私が小学生だった1986(昭和61)年頃の休日の日中の最寄り駅の列車の発着の順番は、私の記憶している限りでは、下り(当時は淀屋橋方面)が、「急行、普通、準急、特急の通過(すべて淀屋橋行き)」、上り(当時は三条方面)は、「特急三条行きの通過、準急枚方市行き、普通三条行き、急行三条行き」と、こんな感じでした。
当時の最新鋭車両は6000系で、側面の種別・行先表示は今は無き1900系更新車とともに「黒地に白抜き文字」で、そのほかの車両はまだ白地でした。
特急はまだ3000系(初代)の全盛期で、赤色で「特急」と、やや斜体の文字で、急行、準急、区間急行、普通の種別がそれぞれ順に赤、青、緑、黒でした。
現在のような「白抜き文字表記(当時はまだ英字表記はなかった)」に切り替わったのは、翌1987(昭和62)年の2600系(0番台)が皮切りだったと記憶しております。
今回は、京阪の7連の車両および列車が結構撮影できて、満足したひと時でした。
2012年2月21日 (火)
阪堺電車訪問記(2012.2.12.)(その4)
(その3)の続きになります。
上町線松虫電停へ到着しました。
今回はここから、帝塚山三丁目電停まで各電停を下車し、その時の模様をリポートしたいと思います。
松虫電停の構内は、高層ビルなどが少し見受けられるものの、電停の屋根などが、クラシックな感じを出していると思いました。
松虫の駅名票です。
こじんまりとした、阪堺電車グッズのPR広告が掲示されていました。
これは神ノ木電停でも見た、同じ団体の阪堺電車をサポートするポスターです。
貼り付けに使用したテープの大きさが印象的でした。
続いて、東天下茶屋電停へ向かいました。
詳細は割愛しますが、前述の文献で『馬車鉄道跡』の碑がひっそりと立てられているという写真を見て、撮影しました。
付近には、東天下茶屋商店街もありました。
こちらはご覧の通り、阪堺線開通100周年の記念乗車券のPRポスターですが、阪堺のHPでは、すでに「完売」とのことでした。
これをお持ちの阪堺ファンの皆様にとっては、「プレミアもの」ではないかと、私は思いました。
モ161形モ162号の浜寺公園行きが到着しました。
これに乗車して、次は北畠電停へ向かいます。
車内の一部を撮影しました。
北畠電停に到着です。画像左下にご注目ください。
このような貼り紙が、まだ貼りつけられていました。
おそらく、昨年の台風襲来時のものでしょう。
なぜ、まだ残っているのでしょうか・・・???
さて、「(この区間の)停留所の架線支柱に、とんでもない骨董品の駅名票があります」とののりさんからの情報を頼りに、その「駅名票」を探し始めたのでした・・・。
のちほど紹介しますが、のりさんから頂いた写真を思い出しながら、付近を歩いてみると・・・。
ありました。
どうやら、この鉄柱のようです。
もう少し、拡大してみます。
ご参考までに、のりさんにお願いして公開の許可をいただいた、写真をここで紹介します。
1979(昭和54)年10月28日に撮影されたものです。
後日、のりさんに問い合わせたところ、「背景の建物、すっかり変わってしまいましたね」とのお返事が返ってきました。
どうやら、これに間違いないようです。
次は姫松へ向かいました。
モ701形モ701号に乗車しました。
車内をよく見てみると・・・。
吊り革もこんなデザインになっていました。
「阪堺さんも粋な計らいをされているな」と思いました。
この車両には、グッズ販売のPR広告が掲出されていました。
姫松電停へ到着しました。
発車する車両を、カメラの設定を「シャッタースピード優先」にして、「1/125」にしたら、行先のLED表示がはっきりと撮影できました。
ちなみにこの列車は、ご覧の通り「住吉公園行き」でした。
ここには「築100年(明治末期)の木造建築の待合室」があるとのことで、さっそく探してみました。
ありました!!これに間違いありません。
角度を変えて撮影してみました。
ちょうどその頃、モ161形モ166号の列車がやってきて、撮影してみました。
自分で言うのも何ですが、「良い風景写真が撮れた」と思いました。
次は、帝塚山三丁目で下車しました。
この頃から雲行きが怪しくなり「雨が降るんじゃないか?」と、私は少し不安になりました。
ここでも、前述の「駅名票」を見つけました。
天王寺駅前方面側にも、同じ物を見つけました。
こちらは、判読が困難ですね。
この後、ご覧の通りシャッターが閉まっている、レトロなお店を見つけたので、撮影しておきました。
次は帝塚山四丁目で下車しました。ここにも「鉄柱の駅名票」があるとのことでした。
どうやら、これのようですが、こちらも判読が困難ですね。
これで、上町線の「貴重品めぐり」はお終いです。
到着したモ601形モ607号に乗車して、次は阪堺線の綾ノ町停留所へ向かいました。(つづく)
2012年2月19日 (日)
阪堺電車訪問記(2012.2.12.)(その3)
(その2)の続きになります。
再び住吉停留所に戻って、行きかう阪堺の車両を撮影しました。
モ701形モ702号です。
こちらは上町線へ向かう、南紀白浜アドベンチャーワールドの全面広告車、モ701形モ710号です。
この後、私はこんな事を思いついたのでした。
「せっかく住吉大社の近くまで来たんだから、少し(住吉大社を)見に行こう」
というわけで、以下の3枚の画像は、住吉大社のほんの一部ですが、前述の理由で、少し撮影してみました。
この日は人の往来もまばらで、順光だったので、こんな写真が撮れました。
これらを撮影したあと、再び住吉の交差点まで戻りました。
モ701形モ703号です。
ちなみに現在の阪堺の最大勢力の車両は、このモ701形で、計11両在籍しています。
モ501形504号です。パンタが少し欠けて撮影されてしまったので・・・。
後追いで、もう1枚撮影しました。
こちらは、(その1)でも紹介した、モ351形モ354号です。
上町線天王寺駅前方面へ向かう、モ161形モ162号を再び撮影ができました。
この吊り掛けモーターの重厚な走行音は、今や貴重なものになりそうですね。
このモ161形を撮影したあと、今度はのりさんから教えていただいた、上町線の併用軌道区間の撮影ポイントを撮影するため、モ701形モ701号に乗車して、上町線の松虫へ向かいました。
この画像は、松虫の電停で撮影したものです。
次回はこの松虫から、帝塚山四丁目までの記録を紹介します。(つづく)
※おまけ画像:すでにお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、モ701形およびモ601形の2車種の前面には、この吊り広告と同じデザインの横断幕が掲示されています。
2012年2月18日 (土)
今日の日記【51】今日は・・・。
皆様、こんばんは。
今日(18日)は、最近拙ブログ上でお知り合いになった、京阪電車の子会社である、天狗の伝説がある鞍馬や、比叡山へアクセスできる叡山電車(以下、叡電と呼称)沿線に在住していらっしゃるなかっちょさんとご一緒し、「えいでん!×けいおん!トレイン」(叡電における呼称。以下、「けいおん!トレイン」と呼称)など、叡電叡山本線を中心に、叡電の車両を撮影してきました。
今回はその中から、いくつかピックアップしたいと思います。
私となかっちょさんが叡電出町柳駅に到着した時には、ご覧のように雪が少し積もっていました。
築およそ80年という堅牢な造りの八瀬比叡山口駅にも立ち寄りました。
最後はこの「けいおん!トレイン」(この日、この車両は臨時列車として運行されていました)を出町柳駅で撮影して、京阪の出町柳駅で解散しました。
この日は時折雪が降り、雪が降りしきる中を撮影したりと、私にとって何もかもが初体験で、良い思い出となりました。
詳細につきましては、後日当ブログにて紹介してまいります。
最後になりましたが、今回ご一緒させていただいたなかっちょさん、お疲れ様でした。
それから、本当にありがとうございました。
2012年2月17日 (金)
阪堺電車訪問記(2012.2.12.)(その2)
(その1)の続きになります。
次に私が向かったのは、地元の方からは「すみよっさん」と呼ばれ、親しまれている国内有数の神社の中でも参拝客の多い「住吉大社」の最寄り駅である、住吉停留所でした。
目的はもちろん「住吉大社の参拝」ではなく、阪堺線と上町線が交差する、通称「住吉交差点」という場所で、阪堺の車両を撮影することです。
「ここで2時間ほど粘れば、その日の阪堺線・上町線の稼働車両をすべて見ることができるはずです」
そんなのりさんからの情報を頼りに到着しました。
「ここには、撮り鉄さんがわりといらっしゃいますので・・・」と、のりさんはコメントしていらっしゃいましたが、この日は「撮り鉄」と呼ぶような人物は、私のほかに一人くらいしか見受けられませんでした。
その「撮り鉄」さんも気が付いたらどこかに行ってしまいました。
その後ですが、こんな写真が撮れました。
上町線の天王寺駅前方面の待合室を発車する、モ161形モ162号です。
今回最初に見た「モ161形」はこの車両でした。
ここで、のりさんの以前のブログ記事より、モ161形の最新情報を少しお伝えしようと思います。
モ161形は2012年現在、10両在籍していますが、そのうちモ161号は、昨年の阪堺の「路面電車まつり」で「昭和40年代当時の姿」に復元され公開されたのちは、主に「貸切電車」での運用についていて、めったにその姿を見ることは難しいこと、そしてモ167号は、昨年の「路面電車まつり」で私も見ましたが、「車体の痛みがひどいため、部品取り用になっている」とのことで、稼働車両は実質8両となっています。
そんなお話をしている間に、もう1両モ161形が姿を見せました。
「緑の雲電車」の愛称を持つ、モ161形モ166号です。
私が子供の頃(昭和50年代後半)に見た「当時の関西の電車を撮影した本」に載っていた、「あの車両」とご対面できました。
実は、ちょうど1年前にこの車両に乗車して撮影する機会ができました。
阪堺線の住吉停留所の待合室です。
のちほどご紹介する上町線の姫松電停と同様、レトロな造りの待合室です。
もう1枚、住吉交差点で撮影した写真をご紹介します。
阪堺の車両では、1987年より登場した完全な新造車、モ701形モ709号です。
最近の阪堺の車両のほとんどは、車両全体がこのような「広告塗装」となっています。
そういえば、「構内放送」のようなアナウンスが聞こえたのもここでした。
このあと私はこちらへ移動しました。
モ701形モ707号の「住吉公園行き」に乗車して、今度は住吉公園停留所へ向かいました。
住吉公園停留所へ到着するまでの間、後ろの方が空いていたので、運転台を撮影しました。
住吉公園停留所へ到着しました。
ここには、戦時中に使用された防火水槽があるということを、前述の文献を見て知りました。今回の目的はそれを見に行くことなのです。
これがその防火水槽です。ご覧の通り、現在は金魚が飼われていました。
この後、モ707号の車内写真を撮影できました。
モ707号と防火水槽のツーショットを撮影したあと、今度は「天王寺駅前行き」として発車間近だったので、私は急いで乗車しました。
このあともう一度、住吉停留所で降りることにしていたのですが、こんな事に気づかなかったマヌケな私でした・・・(汗)。
阪堺電車は、ワンマン運転です。ここまでは知っていたのですが・・・。
そうとは気づかず、住吉停留所を通過してしまい、上町線の次の駅、神ノ木電停まで行ってしまいました。
車内にあった、小さなボタンは、路線バスと同じものだったのですね(滝汗)。
しかたがないので、次の住吉方面の列車が到着するまで、構内をぶらりとしました。
近くで踏切の音が聞こえました。
よく見ると、南海高野線の電車が走っているのが見えました。
近くには、小さな子供を連れたお母さんの姿も見受けられました。
今度は住吉方面の停留所でこんなポスターを見つけました。
この団体も、阪堺線開通100周年のPRをしているようです。
モ601形モ607号の天王寺駅前行きが到着しました。
モ701形702号のこの列車に乗車し、私は再び、住吉停留所へ向かうのでした。(つづく)
※おまけ画像
モ702号の車内で、このような吊り広告を見つけました。
本当に「ちん電くん効果」は、大きいと思いました。
(つづく)
2012年2月15日 (水)
阪堺電車訪問記(2012.2.12.)(その1)
今回から12日(日)に訪問した、阪堺電気軌道(以下、阪堺電車)阪堺線および上町線に「乗り鉄」と「撮り鉄」をした記録を、自分の記憶を頼りに書いてまいります。
なお、本記事を作成するにあたり、阪堺電車にお詳しいのりさんからご教示された情報のほか、以下の文献を参考にさせていただきました。
週刊・歴史でめぐる鉄道全路線・公営鉄道・私鉄(No.12)(朝日新聞出版発行)(以下、前述の文献と記載)
まず当日までにおこなった事はのり様からの情報や、前述の文献の情報を基に、阪堺電車のHPを閲覧したり、Googleで検索した地図に撮影ポイントを書き込んでおきました。
そして阪堺電車のHPで一日乗車券「てくてくきっぷ」が販売されている事が分かり、それを当日購入する事に決めるたのでした。
それから迷った事は、阪堺線の恵美須町駅から乗車するか、上町線の天王寺駅前駅から乗車するか・・・これについては、出発直前まで考えました。
結論ですが、大阪市交堺筋線の恵美須町駅から、阪堺線に乗車することとなりました。
当日、最寄り駅9時30分発の京阪の急行淀屋橋行きにまず乗車し、大阪市交堺筋線の乗り換え駅である、北浜駅へ向かうのでした。
京阪の北浜駅から大阪市交堺筋線の北浜駅への乗り換えは、淀屋橋寄りの車両に乗った方が近いことは、以前から知っていたので、淀屋橋寄りの先頭車に乗車し、「かぶりつき」ができました。
今月に入ってから、初めての乗車だったので、すれ違う列車や退避する各駅停車(普通)の車両をよーく観察すると、2400系2455Fが塗色変更されている事が分かりました。
これで2400系の旧塗装編成は2編成(2453F、2456F)となりました。
京阪北浜駅から大阪市交堺筋線に乗り換え、恵美須町まで乗車した車両は、66系でした。
さて、ここからが本題ですね。
以下の画像は愛用のコンデジでの撮影です。
阪堺電車恵美須町駅の入り口です。到着したのは、10時頃でした。
入ってみると、駅員さんがいらっしゃったので、「てくてくきっぷを下さい」と声をかけると、「少しお待ち下さい」と言って、駅員さんは駅の奥の方(我孫子道寄り)まで走っていきました。
その間に、この日最初に乗車した車両を撮影しました。
モ351形モ354号の「我孫子道行き」です。
私はモ351形に乗車するのは、初めてだったので、心の中で思わず喜んでしまいました。
しばらくすると駆け足で駅員さんが戻って来られて、私は代金を支払い、「てくてくきっぷ」を手にしたのでした。
そして、我孫子道行きの列車が発車時刻になり、私は急いで車内へ入りました。
先頭部(我孫子道寄り)の座席が空いていたのでそこに座り、今回の「阪堺電車の撮影紀行(とでもいえましょうか・・・?)」はスタートしたのでした。
ここで早速「撮り鉄」となりました(笑)。
ご覧の通り、「帝国車両 昭和38年」という製造銘板が車内に付いていました。
車内の後ろの方を見ると、比較的空いていたので、撮影してみました。
ご覧の通り、乗車はまばらでした。
再びカメラを前方へ向けてみます。
「おかげさまで阪堺線は平成24年4月1日に全線開通100周年を迎えます」とのPRが。
「これはまた、おめでたい!!」と私は思いました。阪堺のマスコットキャラクターの「ちん電くん」もかわいいです。本当に阪堺電車のイメージにピッタリだと、改めて思いました。
ここで、最初の沿線撮影場所に決めた、「旧宮ノ下電停」があった場所と、南海の玉出変電所の最寄り駅である、東玉出電停で下車しました。
発車するモ354号の走行音を聞いて「吊り掛け駆動車」だと分かりました。
まずは、少し恵美須町寄りに歩いて、1911(明治44)年に竣工された南海の玉出変電所を撮影しました。これは、前述の文献に載っていたので、チェックしました。後で調べてみると、今年で101年経つのですね。
この時間は逆光でしたが、どうにか撮れています。
続いて、のり様からの情報より、旧宮ノ下電停があった、場所に行ってみました。
「ちょうど南海高野線のガード下辺りです」とのことでした。
分かりにくいかもしれませんが、ちょうど南海の電車が走っている時を狙いました。
角度を変えてみました。ここに旧宮ノ下電停があったのでしょうか・・・?
2012.2.17追記:この日の前日の夜、のりさんから情報をたまわり、添付された画像から見ると、赤丸がしている辺りに「旧宮ノ下電停」があるとのことでした。看板があって、気がつきませんでした。
この間、結構車の往来があったので、注意して撮影しました。
この後再び東玉出の電停へ戻りました。
この区間は発車時刻表によると、12分間隔で運転されています。
「復刻塗装」(これにつきましては、後で説明します)のモ501形モ504号と、モ601形モ606号がすれ違うシーンです。
モ501形モ504号を、後追い撮影してみました。
モ701形モ711号(横断幕に注目して下さい)の列車(行先はLED表示だったので、こんな感じになってしまいます)が到着しました。
この車両に乗車し、次はあの名撮影スポット、住吉停留所へ向かいました。(つづく)
2012年2月13日 (月)
寝屋川市役所の「京阪60形びわこ号」復活プロジェクトのPR掲示物を見てきました
以前、拙ブログで書いた記事京阪60形「びわこ号」復活PR横断幕 寝屋川市役所に に関した事ですが、先日所用で市役所に用事があった際、PRの横断幕のほか、市役所内に京阪60形「びわこ号」の模型などが目に留まりました。
そして先週、電話で市役所の担当部署の方に撮影の許可の有無を問い合わせたところ、「ご自由に撮影しても結構です」とのお返事が返ってきたので、市役所に出向き、撮影してきました。
今回はそれをご覧いただきます。
まずはこちらから。
市役所の入り口に掲示してあった、PR横断幕です。写真の人物は中川家礼二氏です。
一方、こちらは市役所入り口に掲示されているものです。
さらに市役所の建物の中にはこんなものが。
一般の方にも分かりやすく説明されていると思った、「60形びわこ号」のプロジェクトPRのパネルと同車両の特徴を解説した、パネルが掲示されていました。
ご覧の通り、現在寝屋川市では京阪と共同で「60形」を動態保存させる事を実現させるための募金を募っています。
これは先月、鉄道友の会の行事(京阪8000系30番台見学会・撮影会)の際に頂いた、市役所にも置いているパンフレットです(上の画像右側にあるステッカーは、前述の行事に私を含む、参加した方に配布されたものです)。
ここで再び市役所内の展示物を紹介します。
これは60形の側面に取り付けてあった、愛称銘板です。
画像の写真が、戦前の60形の姿です。
その下には、60形の模型が展示されていました。
ご覧の通り、HOゲージ(1/80スケール)とNゲージ(1/150スケール)の、60形の模型が展示してありました。
この2点は、戦前のものです。
こちらは1946(昭和21)年、京津線(当時)の四宮車庫へ所属が移管した際(戦前は京阪線の守口車庫所属だった)に京阪特急色(上部オレンジ、下部レッド。現在は初代3000系である8000系30番台のみ見る事ができる)に塗り替えられた姿の模型です。シューケース越しだったので、撮影には苦労しました。
この実車の写真なのですが、私は持ち合わせていませんでしたが、当ブログにリンクを貼らせていただいている、む~さん様が撮影された写真をこの度、頂く機会ができました。
1954年(昭和29年)に撮影されたものです。
この場をお借りして、お礼申し上げます。
当記事を書くにあたり、以下の文献を参考とさせていただきました。
細密イラストで見る京阪電車車両の100年(京阪電気鉄道発行)
鉄道ピクトリアル2000年12月臨時増刊号(No.695)(鉄道図書刊行会発行)
また、市役所の担当部署の皆様にもお礼を申し上げる次第です。
p.s.本日を持ちまして、当ブログは設立して、2年が経ちました。
この間、いろいろあり、試行錯誤の連続でしたが、ここまで続けられたのも、ひとえに当ブログをご覧になった、皆様のおかげだと思っている次第です。
こんな日に「地元ネタ」を書けたのも、初めてでございます。
これからも当ブログを、どうぞよろしくお願い致します。
2012年2月12日 (日)
2012年2月 9日 (木)
シリーズ「Nゲージ鉄道模型 ゼン&ナウ」(7)「GM塗装済キット京阪9000系製作記」(その18)
(その17)の続きになります。
購入から1年8か月、途中ブランクがありましたが、ついに完成しました。
(その16)で紹介した問題点は、結局9000は目をつぶることとし、9050はもう一度分解すると、パーツの破損がひどかったので、パーツを購入するのも面倒なので、ニッパーで目立つ部分を切断しました。
9000の先頭部もこのような状態で、決して満足のいく仕上がりにはなりませんでしたが、これ以上いじくると、余計見栄えが悪くなるので、「これで完成」としたのでありました。
部屋が狭い(故意でせまくしたのではありません)ので、レールを最小限敷いて、テスト運転を行っているところです。
特に、カーブ部分には気を遣いました。
同じGMの完成品、3000系(購入は、2009年12月)と並べてみました。
本当は「島式ホーム」でも付けたかったのですが・・・(未だに購入していない(汗))。
GMより発売いている車両ケースに収納したところです。
こうして、私が組み立てた「京阪9000系9003F 区間急行樟葉行き」の組み立てを終えたのでありました。
現在の京阪のダイヤでは、「樟葉行き」と言えば、「急行」(昼間時)ですが、同じ9000系で運行されているのは、「3000系の特急へのシフトによる、3扉8連車両(9000系(全5本)、7200系(2本)、6000系(12本))の急行へのシフト」によるものです。
土休日ダイヤでは、急行は前述の8連車両の運行が多くなります(平日は7連車両の運行もあり。画像は2011.10.8 淀屋橋にて)。
余談になりますが、GMのキットは「塗装済キット」でも自分の腕が悪いだけかもしれませんが、「パーツ同士の合いが悪い」 「予備のパーツが無いため、紛失したり破損したりしたら、パーツを購入しなくてはならない」などと最近の「模型鉄」の皆様には、よほど器用な人でない限り、取っつきにくいかもしれません。
実はこの「京阪9000系」を購入後、以前紹介した 「GM近鉄2610系4両編成セット」と組み合わせて編成のバリエーションを作りたかったため、「近鉄2410(1810)系」のエコノミーキットを購入したのですが、組立説明書を見て「このキットは中級者以上むけだ」と思うほど「一から組んでから加工する」という作業があるので、組立てていない始末です。
何はともあれ、今回の記事を最後までご覧いただき、ありがとうございました。(完)
再び石山坂本線へ(「けいおん!電車」で石山坂本線完乗!!・その5)
(その4)の続きになります。
坂本駅で、今度は石山寺駅の時と反対側の車体を撮影しました。
近江神宮前駅における撮影(2011年12月24日)をアップで撮影したものと思っていただきご笑覧下さい(^^ゞ。
続いて坂本寄りの車両の前面です。
前面下部です。
HMを拡大してみました。
発車時刻が近づいてきたので、この車両に乗車しました。
乗客は比較的多かったのですが、比較的静かだったので、あえて撮影はしませんでした。
浜大津駅へ到着しました。
ここで、最後の撮影です。
この後、「けいおん!電車」は、石山寺に向かって発車しました。
自分としては「充実した時間が過ごせた」と思いました。
後日、「鉄道友の会」の会報誌で知ったのですが、関東の大手私鉄の小田急電鉄で昨年の8月、漫画家の故・藤子・F・不二雄さんの記念館「藤子・F・不二雄ミュージアム」の開館を記念して、3000形10両1編成に藤子・F・不二雄さんの漫画のイラストなどを車体・車内にラッピングした「F-Train」が、東京都の屋外広告規制に抵触するとして、同9月30日で車体のラッピングを終了させた事を聞いて「東京都では、「トーマス号」でも引っかかるかも。滋賀県は(条例が)ゆるいんだ」と改めて感じた次第です。
ちなみに今年の京阪のカレンダーの2月の写真は、石山坂本線の「標準色の600形」なのですが、これを見て「あそこまで装飾した京阪の大津鉄道部の意気込みはすごいとしか表現できない」と写真を見るたびに思います。(完)
※おまけ画像
これらは、帰路における8000系8007Fのダブルデッカー車に乗車した際のものです(三条-枚方市間にて)。
久しぶりに乗車した2階席は「(良い意味で)好みが分かれるかな・・・」と思いました。
(完)
2012年2月 6日 (月)
再び石山坂本線へ(「けいおん!電車」で石山坂本線完乗!!・その4)
(その3)の続きになります。
「けいおん!電車」は坂本駅へ向けて発車しました。
ちょうど坂本寄りの座席が空いていたので、私はそこに座りました。
背後はご覧の通り。
のちほど紹介していくメインキャラクターの中の1人の車体外観のラッピングが写り込んでいました(笑)。
それではここで、以前予告した通り、「けいおん!!」に登場する「5人のメインキャラクター」が車内の乗降扉にラッピングされていたので、紹介したいと思います。
ギター担当で、「天然キャラ」の平沢 唯(ひらさわゆい)ちゃんです。
ベース担当で、ボーイッシュな秋山 澪(あきやまみお)ちゃんです。
ドラム担当で、やんちゃな性格の「軽音部の部長」でもある、田井中 律(たいなかりつ)ちゃんです。
唯ちゃんからは「りっちゃん」呼ばれています。
キーボード担当で、「上品なお嬢様」ようなキャラの、琴吹 紬(ことぶきつむぎ)ちゃんです。
以上の4人が「けいおん!!」では「同級生(高校3年生)」という設定で、前述の4人からは唯一の「後輩」にあたるキャラがこの子です。
唯ちゃんと同じギター担当で、唯ちゃんからは「あずにゃん」(笑)と呼ばれていますが、「しっかり者」である、高校2年生の中野 梓(なかのあずさ)ちゃんです。
これらの内容を作成には、私(もう、おじさんですが・・・)が実際に見たテレビアニメ「けいおん!!」や、叡山電鉄のHP(2012年2月現在)を参考にさせていただきました。
これ以上説明すると、「アニメのブログ」になってしまうので(汗)、これ以上の説明は控えさせていただきます(ーー;)。
このほか、こんなラッピングもありました。
車内の天井はこんな感じです。
途中、車内では同作品について、熱く語り合う「けいおん!ファン」と呼ぶような男性達や、どこの学校でしょうか?「本物の女子高生」が乗車してきたりと、それはそれは「賑やかな車内」でした(笑)。
ここでカメラを私の座っている場所へ移動させます。
600形の運転台です。
途中、以前錦織車庫で見た700形「マザーレイク号」とすれ違いました。
もうひとつのラッピング電車(赤と黒の縦縞模様のデザイン)も、同車庫で見たのですが、運用にはついていませんでした。
浜大津駅を発車したところです。
今度は700形「きかんしゃトーマス号」とすれ違いました。
もうすぐ坂本駅に到着しますが、少し車内が空いてきました。
画像左下の「週刊誌ボックス」も、石山坂本線ならではのもので、京阪の他の路線ではお目にかかれません。
坂本駅へ到着しました。
駅員さんに「京都地下鉄・京阪大津線 1dayチケット」を提示したあと、私は撮影を続けるのでした。(つづく)
※おまけ画像
これはたまたま乗り合わせた方から、特別に許可をいただいて、撮影したものです。
こんな「人形」まで、販売されているとは・・・。さすが「大人気のアニメ」だと思った次第です。
(つづく)
2012年2月 5日 (日)
神戸市交1000形 デビュー35年
神戸市交1000形は、1977年3月の開業時に導入され、今年でデビュー35周年を迎えます。
1978年に「鉄道友の会」の「ローレル賞」も受賞し、1989年までに増結、増備を行い6連×18本の計108両が製造されました。
車体はアルミ製で、電機子チョッパ制御・回生ブレーキを持つ省エネ車両で、日本の地下鉄では初めて全車両に冷房装置が取り付けられました。
このほか、ATCやATOも採用されています。
1998年より更新工事が開始され、制御装置を1993年~1994年に製造された3000形と同じVVVFインバータ制御に変更された車両は「1000-01形」と改称され、2005年の更新施工車からは素子がIGBTとなり、「1000-02形」と改称されました。
余談ですが、車体の緑色と車番の角張った字体は、現在は廃止された神戸市電から受け継いだものです。
2011.11.12 谷上にて
2012年2月 4日 (土)
再び石山坂本線へ(「けいおん!電車」で石山坂本線完乗!!・その3)
(その2)の続きになります。
石山寺駅にていったん下車した私は、今度は前回の訪問で撮影できなかった側の撮影に挑む(笑)のでした。
まずは、このアングルから撮影。
これから坂本方に向かって、車体の撮影を始めました。
「4代目おけいはん」の樟葉けい子さんの乗降扉のステッカーもラッピングで、すっかり影にかくれていまっています(^^ゞ。
もう1両です。
ここまでが、「撮影の限界」でした。
「映画のPR」の部分をピックアップ。
再び石山寺寄りへ戻ります。
折り返しのこの時間も私以外にも多くの「撮影者」が「出没」していました(笑)。
掲出している特製HMも、もちろん撮影しました。
今回はここまでです。
この後、私は発車時刻が近づいたので再び乗り込み、今度は坂本まで乗車するのでした。(つづく)
2012年2月 3日 (金)
再び石山坂本線へ(「けいおん!電車」で石山坂本線完乗!!・その2)
(その1)の続きになります。
浜大津駅を発車した石山寺行きの「けいおん!電車」に乗車すると、車内はすでに満席、おまけに車内の撮影までしている人もいるという、「何やらスゴい空間に引きずりこまれた」感覚がしました。
かくいう私もけっこう揺れる車内の中で、撮影を始めたのでした(ーー;)。
今回は、車内の装飾を、いくつか紹介したいと思います。
乗務員室の貫通扉の上部はこうなっていました。
その貫通扉には、サブタイトルである、「放課後ティータイムトレイン」をイメージしたイラストがラッピングされていました。
一方、連結面の扉には、「けいおん!」の舞台でもある「桜高校の教室の扉」を模したような装飾が施されていました。
側窓から天井にかけて、「広告」ではなく、「同作品をPRするようなラッピング」が施されていたのも、この電車の特徴のひとつとも言えるでしょう。
今回は私が撮影したものの中から、いくつか紹介してまいります。
こちらも(その1)で紹介したものと同じく、「劇場版」のPRですね。
これらは「アニメのワンシーン」のようです。
これらは、「学園祭のお話」の時のものですね。覚えております。
この「5人のメインキャラクター」につきましては、のちほど詳しく紹介します。
ちなみに「HTT」とは、同作品の「代名詞」ともいえる、「Ho-kago Tea Time」のことです。
ほどなくして、終点石山寺駅へ到着しました。
行先表示は「坂本」に変わっていました。
今回はここまでです。
次回は前回(昨年)の訪問で撮影できなかった、車体のラッピングを紹介します。(つづく)
2012年2月 1日 (水)
再び石山坂本線へ(「けいおん!電車」で石山坂本線完乗!!・その1)
(出発編・その2)の続きになります。
まずはこちらからご覧ください。
昨年の12月24日(土)に京阪石山坂本線の近江神宮前駅にて撮影した、「映画「けいおん!」ラッピング電車」(600形613-614。京阪大津線のサイト(当時)における呼称。以下「けいおん!電車」と呼称)です。
他のラッピング電車を上回る、大胆なラッピングだと思いました。
この「けいおん!電車」が到着するやいなや、カメラを持ったファンがたくさん「集合」したのでした。
折り返し、石山寺行きの列車となるため、留置線に停まっているところです。
石山寺行きとしてホームに入線です。
私のテンションもどういうわけか、だんだん上がってきました(笑)。
発車まで時間があったので、車内へ入ってみました。
車内の装飾の中から1枚、紹介します。
600形(601-602)の坂本行き列車とのツーショットが撮れました。
この写真を撮ったあと、ちょっとしたアクシデントが・・・!!
カメラの電池が切れてしまったのです。
以前もこのような状況に出くわしたので、念のために用意しておいた、代わりの電池で窮地をしのぎ(?)ました。
再び坂本寄りへ移動です。
石山寺方面へ発車したところです。
そして、後日京阪大津線のサイト(当時)でこのようなお知らせが・・・。
「「けいおん!電車」 大好評につき運行期間を延長いたします」
当初は昨年末までの運行が、今年の1月9日(月・祝)まで、運行期間が延長されたのです。
「けいおん!」の事をあまり知らない私は、昨年有料のテレビ放送サービスで、第2シーズン(全24話)を観る機会ができました。
特にアニメファンから絶大な支持を受けていることが分かりました。
京阪側もこの期待に応えたかのように、私は思えました。
そんなわけで、タイトルの通り、「「けいおん!電車」で石山坂本線を完乗しよう!!」という企画を企てたのでした(笑)。
次に紹介するのは、年が明けた1月9日に浜大津駅へ「けいおん!電車」が到着するシーンです。
これに乗車して、まずは石山寺まで乗車するのでした。(つづく)