シリーズ「過去の撮影記録から」(14)「水間鉄道訪問記」
今回は今から4年前の2007年8月27日に、「ATS対応工事完了」の記念乗車券を利用して、大阪府南部を走るローカル私鉄「水間鉄道」(以下、同社)の「乗り鉄」と「撮り鉄」の記録を紹介します。
なお、撮影は「ISO感度1600」の「使い捨てカメラ」によるものという、今となってはお恥ずかしい限りです・・・(汗)。
当記事の画像は、その中の一部をスキャンしたものです。
まずは、こちらからご覧下さい。
2007年4月の「ATSの供用開始」により、元東急の7000系(初代)をリニューアルした「1000形」2連×4編成の写真が入った、同社の貝塚駅で購入した、「1日乗車券」です。
1000形になった際、4編成それぞれに四季をイメージした帯が入った塗装が施されました。
水間駅(現・水間観音駅)までの往路は、この1003F(デハ1003-デハ1004)に乗車しました。
現在でも数多くのローカル私鉄で活躍している、元東急の初代7000系に乗車できたのは、これが始めてでした。
水間駅の駅舎を撮影しました。
後で手持ちの文献を見て分かったのですが、この駅舎は、1926(大正15)年に「水間駅」として開業した際に建てられた寺院風駅舎で、1998(平成10)年には、国の登録有形文化財に指定され、2009(平成21)年に現在の駅名(水間観音駅)に改称されました。
はっきりとした記憶はありませんが、私はこの周辺を「散策」していたようです。
「天台別格総本山 水間寺」と刻まれた「石碑」(だと思う)を見つけました。
この三重塔が「水間寺」の境内だったかどうか、覚えていません・・・(汗)。
これがおそらく「水間観音」だったと思います。
私は神社・仏閣関連にはうとい方なので、ご存知の方はご教示いただければ、幸いです。
この後、再び水間駅へ戻りました。
水間駅に留置されていた、1990年に東急から譲受され、リニューアル改造(1000形)から外された、日本初のオールステンレス車、元東急初代7000系の7000形(デハ7003-デハ7103)です。
こちらが、オリジナルの姿になります。
文献によると、現在も廃車とはならず、水間(観音)駅に留置されているとの事です。
こちらは、1971年~1973年に元南海の1201形を譲受したモハ501形モハ553号で、私が訪れた当時は、このような塗色でした。現在は、南海時代の塗色に復元され、水間観音駅構内で静態保存されています。
この車両が架線電圧が昇圧された、1990年まで使用されていました。
帰路はこの1005F(デハ1005-デハ1006)に乗車しました。
車両の写真は後ほど、ご覧いただきます。
車内の様子です。
クーラーが設置された事以外は、ほぼ原型を保っています。
かすかな記憶では、つり革に「東急百貨店」の広告が入っていたと思います。
貝塚駅で撮影しました。この車両は中間車からの改造車です。
この時同編成には、水間駅の駅舎をあしらったステッカーが貼り付けられていました。
この後、南海線に乗車して、帰路に就きました。
時は変わって今年(2011年)、あるテレビ番組で「水間鉄道」が採り上げられていて、「女性の社長さんの奮闘記」や、「女性アテンダントの採用」など、私が訪問した当時と比べ、サービス面で「大きく変化した」ことに私は驚きました。
これからの水間鉄道のさらなる発展を期待して、本記事の締めとさせていただきます。
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