和歌山電鐡訪問記(その2)
(その1)の続きになります。
発車時刻になり、たま電車は、和歌山駅を後にしました。
同社の路線(貴志川線)はワンマン運転のため、自動の「車内放送」が流れ始めました。
車内放送はなんと、あの(現在の)ドラえもんの声でした!!それで、同乗していた子供たちは大喜びでした。私も「凝った演出」と思いました。
そんな車内放送と共に、たま電車は「たま駅長」のいる貴志駅へ向かうのでした。
そんな中、私はこういう物を撮影しました。
車番や車両銘板の下部に、たま電車の製作に携わった方々のお名前が掲示されていました。
同社貴志川線の路線図と、運賃表です。
さらに、こんな物も見つけました。
さて、たまは何匹、描かれているのでしょう?
時刻が多少前後しますが、運転台なども撮影しました。さすがにこちらは、ごく普通の「運転台」でした。
また、運転台直後のガラスにはこんな張り紙がしてありました。
現在、徐々に復興は進んでいるようですが、当時はまだまだでした。あの「悲劇」の日は日本だけでなく、世界各国でも忘れてはならないものとなってしまいました・・・。
最初の交換駅、日前宮(にちぜんぐう)駅に到着すると、おもちゃ電車(2276F)を見る事ができました。
この後私は、後の車両(2275)へ移動しました。
こちらにも、先ほど紹介したものと同じものが掲示されていました。
「たま電車のスタッフ」の皆様、本当にお疲れ様でした。
ちなみにこの2270系は、南海時代の1970(昭和45)年に東急車輛で製造された、高野線用の通勤ズームカー22000系で、ご覧の通り1995(平成7)年に当時貴志川線で運転されていた1201形という車両を置き換えるため、「ワンマン運転改造」などが施され、形式も「2270系」に改められ、和歌山電鐡に譲渡後も当時は「南海色」のままでしたが、後に2006年に2271Fがいちご電車、2007年に2276Fがおもちゃ電車、そして2009年に2275Fがたま電車とそれぞれ「改装」され、現在に至っているのです。
さてこの後、列車は同社の本社と車庫のある、伊太祁曽(いだきそ)駅に到着しました。
この伊太祁曽駅も交換駅で、しばらくすると・・・。
今度はいちご電車(2271F)と交換です。
同駅に数分停車後、たま電車は終点の貴志駅へ向け、発車しました。
前述の通り同線はワンマン運転のため、料金箱や画像のような運賃表示機が見受けられました。
和歌山駅から揺られることおよそ30分、まもなく終点の貴志駅に到着です。
貴志駅へ到着後、私はさっそく和歌山駅では撮れなかった、反対側の車体をいくつか撮影しました。
大きな「たま駅長」のイラストが印象的でした。
発車前に両前面を撮影しました。
扉が閉まり、「たま電車」は和歌山駅へ向かって、発車しました。
今回はここまでです。
(その3)では、昨年(2010年)8月にリニューアルした貴志駅を紹介すると共に、いよいよ「たま駅長」とご対面です。(その3)へつづく)
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